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稽古のときの心構え

                                                    (記 椋 康雄 2004年5月15日)

武器技の稽古について雑記帳に書いていて、あることを思い出し、「稽古の時の心構え」みたいなことを 書きたくなった。

思い出したことというのが、斉藤守弘先生の稽古で、参加者の中に杖の稽古の時に神道夢想流杖術の経験者が いて、どうしても神道夢想流の杖になってしまうので、繰り返し稽古を止めて合気道の杖との違いを説明 されていたことがあったのである。

そこからさらに連想して思いしたのは、私が初めて斉藤仁弘先生(守弘先生のご息子) の稽古を受けた時のことである。まだ学生だったような気がするが、 吹田の天之武産塾道場でのことだった。

何かというと、その時の稽古で私は散々仁弘先生に捕まって注意を受けた。 最初の体の転換から、最後の座法呼吸法に到まで、ほぼ全ての技で直された。
どういう感じかというと、

1.呼び止められる→周りのひとたちは、先生の説明を聞くために座ってこちらを注視する。
2.先生を受けとして、技をやってみるように言われる→出来ない
3.具体的な説明を受ける
4.稽古再開

これを繰り返すことになる。
仁弘先生の稽古も以後何度も受けているが、あの時の私ほど注意されたものが 居た記憶がない。これくらい怒られるとどういう心境になるかというと、 大阪の芸人さん風に言い表すと「おいしいなぁ」という感じである。

。。。いや、ふざけておられることではない。
客観的に省みると、上記の神道夢想流のひとの数倍私は頭が固くて、どうしようも なかったということがいえる。当時何回生だったか忘れたが、 私は1回生のことから大学の稽古だけでなく吹田の天之武産塾合気道道場にも 通っており、2回生以降はほぼ毎週行っていたから、それで全部の技を 直されたということは何を稽古していたのか、ということになる。

この経験から、ここで主題として書くたかった考え方が出てくるのだが、
「稽古の時は、教えてくれるひとの技で稽古すること」というである。

大学の合気道部でも、合同稽古(市大の場合府大戦や旧三商大戦、研鑽会など)はあるが、 他の大学や、師範の稽古で「四方投げ」だとか「入身投げ」という技の名前で判断して、 普段の稽古と同じ理屈で稽古したら、その稽古の意味は上記の私のように 甚だ小さく終わってしまう。 自分の稽古は、内々でやれば良い。
「教えて下さるひとの考え方を、そこで忠実に再現しようとする」こと、である。 自分の中途半端な考えを加えてはいけない。 この考え方が当てはまらないのは、ごく一部の天才的なひとだけではないかと思うし、 そういうひとでも、上記のような考え方は持っていていい。 聞いた話ですが、マリア・カラスは他の歌手の練習も、全て会場に留まってみていたそうです。

ここからは余談ですが、師範のスタンスであるとか、道場の雰囲気というものも違います。 私は斉藤守弘先生、仁弘先生と、岩間道場のかたの稽古で技を厳しく直して頂く機会を得た訳ですが、 自分の師範である阿部醒石先生の稽古ではそういう場面に行き会った記憶がない。 いや、もちろんその場で教えることがあっても、柔らかいような気がする。大阪弁と茨城弁の違いもあるのでしょうか。 あとは教えを受ける者の方が、阿部先生のペースにはまるような。


 
 

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作成元:大阪市立大学合気道部 OB会事務局