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2003年8月30日に久しぶりに羽曳野市古市の道場での稽古に行った際、 阿部醒石先生の稽古が終わり、礼を終えて着替えに行かれた後に小野さんが 道場の皆に言われたことがあった。
小野さんというひとは、阿部醒石先生門下にあって、古市道場での稽古にあたって 中心的に動かれている。阿部先生の下はもちろん、本部道場、養神館本部、 岩間道場に内弟子にいったり、海外で指導経験があるなど、得難い経験を されている。
さて、当日は道着についての注意で、稽古していると膝などよく破けるが、 繕わずに稽古に来ていた道場生がおり、これは注意しておかないといけない、 ということだったらしい。必要以上に肌を見せたり、稽古着が綻んでいる ありさまでは植芝盛平翁先生に失礼である、という主旨の話であった。
これについては以前、私は個人的に小野さんに同じことを注意されたことがある。 私の場合は道着の上だが、破れては繕い、破れては繕いしており、余りに 見た目がぼろぼろであったため見かねて言われたもので、その意味で 膝が破れている道場生と変わらぬ無礼者と言える。もっと無礼なことに、 学生の頃袖を取った道着で稽古していたこともあった。さすがに、市大での稽古の 時しか、袖のない道着は着なかったが、今考えれば翁先生への失礼という観点で 考えれば、どこで稽古していようと同じ事だった。
故斉藤守弘先生も、肘を見せるというのは大変失礼なことだ、と言っておられたのを 何度も耳にした。
私も今は、市大で稽古するときなど袖を巻くって肘を見せて稽古している学生が 居れば、注意するようにしている。
ただ、注意の内容は諸先生とは違い、 「危ないから」ということで肘を露出しないように言っている。 空手やキックボクシングを見ていたら、肘がいかに鋭い凶器となりうるか、 顔などに肘打ち(空手ではエンピ)が入って「切れる」場面を何度が目にしている。 合気道で通常肘打ちを稽古することは無いが、入り身には当身が隠されていると 考えるべきであり、当身の中には当然肘打ちも含まれる。場合によっては、意識 せず肘が顔などに入ってしまうようなことも乱捕り稽古で相手を振り解いた動作の 中などでは考えられる。
ボクシングで選手の顔にワセリンを塗るのは顔からの流血を防ぐためだと聞いた。
合気道でも、同様に無駄な怪我については未然に防ぐ心遣いをしないといけない。
日本にエディ・タウンゼントというハワイ生まれの素晴らしいボクシング・トレーナー が居られて、今でもテレビ番組で取り上げられる事があるが、氏の講演録を スポーツ誌の「Number」だったかと思うが読んだことがあった。
その中に、「ボクシングが出来る期間は短い。試合で顔に傷跡が残ったら、 営業の仕事なんかできなくなる。僕は選手の奥さんに、引退するまで彼を貸して下さい、 引退する時、元の彼であなたに戻します、と約束するんだ」という内容の話があった。
実際、顔が打たれて、倍くらいに腫れ上がった選手をホテルに連れて帰り、延泊して
徹夜で氷で冷やし、腫れを引かせてから奥さんと子供の元に帰したことがあったという。
ボクシングに限らず、格闘技に限らず、武道も含めた全てのスポーツに関わるひとは、
エディ・タウンゼント氏のこの精神に学ぶ必要がある。
話がだいぶ逸れた。
道着に話を戻すと、上記の稽古の翌日31日に、Webにて合気道小金井同好会のページを 読んでいたところ、道着についての記述があり、植芝盛平翁先生がいかに道着の乱れについて 厳しかったか、という口碑が紹介されていた。「翁先生に失礼である」という のは的を得た叱責だったかと、改めて思った。
服装についても礼儀を尽くすべし、というのは武道に共通の認識であろうと思う。
「格闘技通信」という雑誌で日本拳法の全国大会の記事を読んだ時、
決勝戦で片方の道着の紐がほどけていたのが原点対象となり、勝負が決した、
と報じられていて、礼までルールとして明確に規定されているのかと、日本拳法という
武道に敬意を感じたことを、思い出した。
最近反省を込めて思うのは、技の細かい型などを教え伝える事は重要だが、 その土台として挨拶をする、服装を整えるという礼について、日常から徹底する ということが必須ではないかと考えるようになった。植芝盛平翁先生のように 雷を落とせる人は余り居られないはずで、その代わりに稽古にとりくむものの 心の平均値を少しでも上げる心掛けを、まず自分が持つよう考えている。
作成元:大阪市立大学合気道部 OB会事務局