【モノローグ】 | |
Nよ………田結莊 哲治 | |
また馬鹿どもが芝居をするという。呆れ返ると同時に腹が立つほど羨ましい話ではないか。 第一回が昭和22年度夏、6年の昔。秋田雨雀の「手榴弾」だった。腰に手拭い、ホウ歯の高下駄という予科生どもが助演のS女専生に色目を使ったりした。いくつかの幼い恋の花も咲いたようだが、すべては溶暗、かってのヘロイン達も今は人妻、げに人生劇場にダメなしというところか。 第二回がクルトリーヌの「署長さんのお人好し」。ムシュウ・カトウにもずいぶん世話になったね。 第四回が三好の「その人を知らず」。総員五十余人、十二場、幕無し。大作だったな。おかげで1万8千円の税金背負い込んで税務署から逃げ回ったりしてね。滞納税もずいぶん溜まっていることだろう。 第5回が岸田国士の「音の世界」。幕が下りて一分間ほどして手が来た。演ってるものにもワケのわからん芝居だったからな。アチラならトマトぶっつけられるところだろう。 第六回が「鷲一羽」。最後が昭和二六年の「たつのおとしご」。最後まで下手くそのままで市大演劇部へと舞台は回る。 幸い馬鹿どもの後つぎには困らない。ロマンの「クノック」を彼等は演るという。千円の金を出し合ってまで芝居がしたいというからよっぽど馬鹿がそろっているらしい。でもNよ、ボクたちのあとにそんな馬鹿どもがいることはなんと楽しいことではないか。 | |
大塚 士郎 | |
クノックは大阪市大になってからの初めての自主公演でした。それまでのものは文化祭の一環でした。 予算がほとんどないので、金集めと会館を埋めるだけの入場者確保が大変でした。事前にダンスパーティーを企画して、そのパー券で金を集め、参加者にクノックの入場券を押売り(?)したのをおぼえています。合コン等無い時代ですから、ダンスパーティーはなかなかの人気がありました。――でも、この程度の企画によく広告を出稿していただけたと思います。(寄稿) | |
関口 晃宏 | |
クノック先生は慈善家です、人々をタダで診ます故に人々は感謝してます。クノック先生は偉い人、命の親だと―。なにしろタダで診て貰って病人である事が判り治療を受ける様になったのですからね。命拾いをしたんですもの―。
日本のクノック先生も慈善家ですね、偉い人ですね。命の親ですね。偉い人ですね。命の親ですね。中国との平和を結ばない為疲弊した日本経済復興の為に銃砲・火薬・砲弾の注文を沢山くれるのですもの。
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高月 波子 | |
お芝居は何かも忘れさせてくれます。だから、私好きなんです。 此の世は考える人にとっては喜劇であり、感じる人にとっては悲劇なんです。お芝居だってそうじゃありませんか。 黒衣の婦人。彼女は単純でした。この世はキツネとタヌキの欺し合いなんですもの。 Mon Dieu!Mon Dieu! と叫ばずにはいられません。 | |
河村 淳子 | |
ある日、クノック先生が小雀を捕らえて来ました。藁を敷いた箱の中で黄色いくちばしをあけて、時々クローバをついばんでいます。誰かが逃がしはしないかとクノック先生は気が気でなく、お芝居に身が入りません。いたずら者の東西屋さんが雀に煙草を吸わせました。雀はもうぐったりとして隅っこにうずくまっています。お水を飲ませたら、雀は胸をふくらませて皆を見上げました。東西屋さんはポケットに雀を入れて楠の下に穴を掘りました。タンポポにとりまかれて雀はねむっています。春の夕がたでした。 | |
阪本 雅信 | |
装置をデザインするには、何といっても多くの資料が必要だが、殊に今度の様にフランス劇には、ひとしおそれが痛感させられる。 装置の勉強なんかは個人でするよりもグループ・ワークの方が進歩がめざましかろう。学生の舞台美術を担当する人々が糾合して、各自の研究の成果や個別的な問題を持ち寄ったり、資料を交換したりして、共通の課題に当たってゆく・・・・・・そんな会を持ったら、と思うが、さて集い来る御仁はおられましょうか。 | |
浜田 治子 | |
私達の生活はその侭お芝居である。一日演じた自分の役割。アルバイトに、芝生の上での語らいに、そしてお芝居の練習に、二四時間、自作自演の自己を振り返ってみる。一体悲劇なのか、喜劇なのか?フランスの老未亡人、ランプマス家の姫なるポンス家の婦人の陰が私の心に宿る。もうこの年で色恋沙汰、でもないといって笑う単純な彼女の心の中には彼女自身では知らない淋しさがある。まさに喜劇は悲劇と背中合わせである。「みなさん、人間の本性というものは哀れなものです。」
(パンフレットより) | |