演出の言葉 |
村田 武之 |
|
「あなたは気が狂っている《といわれれば誰だって腹を立てるでしょう。しかし私はあえていいましょう「あなたは、本当に気が狂っているのだ《と。それでは、私がその新治療法を紹介しましょう。「ウエー療法《これです。早合点しないで下さい。ウエーの「磁気にあたりなさい《といっているのではありません。「一度、ウエーになってみなさい《と、「あなた方にはその資格があるかもしれない《といっているのです。それとも、あなた方は閣下の娘のように気狂い志願者なのでしょうか。どちらにしても、私達は一方を選ばなければならないのです。私達の住んでいるこの世界、どこか狂ってはいないでしょうか。人間が物と同じように扱われ商品のように値踏みされているこの世界に、人間性が種々の装飾品で隠されてしまったこの世界に、私達は生きているのです。私達は歪んだこの世界の中で、安易に安定を望んではならないのです。埋没してしまってはならないのです。パラドックスの上に積み上げられたこの劇に、私は真の人間性を発掘しようとする人間を見たのです。作者はそれを非実在のもの―ウエー気が狂った閣下の娘―で形象していると思うのです。非人間的な状況のもとで、娘は意識して、真の人間性を追い、ウエーは無意識の中にそれを求めたのです。娘がウエーになるとすることウエーが檻から出ようとする努力、正しくそれなのです。 ウエーを契機に、そして、それを中心にして、各人物は各々の歪みを露呈しはじめるのです。しかし、各人物はすべて愛すべき人間なのです。現代社会の歪みを反映する各人物達。彼達は、もちろん、その歪みを自覚してはいません。自覚していないからこそ、彼等は目に見えないものの圧迫の下で、必死に生きているのです。傲慢に、あるいは弱々しく。彼らには悲劇も喜劇もありません。ただ「生きる《そういう語句につきるのです。こうして私達の前に差し出された、愛すべき、哀れな人間達、私達はこの人物模様を、どう受けとればよいのでしょう。それはあなた方の「お気に召すまま《なのです。 |
| |
| ―パンフレットより― |
| |
戻る |