―装置を担当して―

結崎 東衛

これは写実劇である。写実劇はムードを要求する。なんとかして実在のようにしたいと、観客の方も懸命になって実在であるという錯覚を起こす用意をして観てくれるし努力してくれる。そうなると装置マンはムードメーカーということになる。
実際の生活はどこにでも、またすべてのものがムードを持っている。一本の樹でも場末の喫茶店にも、また単位取得にあくせくしてしている学生の歩き方にも、それぞれのムードをふんだんに持っている。
が、それを舞台の上で創ろうとするとうまくいかない。どこかおかしい。当たり前である。元々舞台というのは甚だ抽象的ともいえる場であって、実生活からその題材をとり出して、いかに巧妙にそれを模倣してみても、所詮は実生活という目で眺めればニセモノに過ぎないのだ。そしてマネをして作られたムードというのはいかにもイヤなものである。
そこから脱するためには「舞台という場」に徹する必要がある。その時には舞台装置も劇の中でムードというアイマイものでなしに、もっと積極的な劇の要素となり得るだろう。ここまでは判っている。けれどこのことを実生活より取材した写実劇の中でいかに押し進めたらよいかとなると行詰まってしまう。
この劇中人物は皆それぞれに問題をかかえている。当事者にとってはぎりぎりの生き方といえよう。その意味で厳しいものだ。
またこの舞台は主人公の居室ではあるが、決していこいの場であるネグラではない。そんな厳しさを舞台装置として劇中人物に対比させたいと願ったが・・・・・。
(パンフレットより)


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