―創作劇を出すことについて―

つのぶえ 一同


創作劇を発表するのは、一昨年の「道程」昨年の「さまよえる時」「曇天」に次いで三度目、「いけばな」は四本目の作品だ。私達演劇部が、古典現代作品と多くの存在する既成の作品を取り上げずに何故に未熟な創作劇を取り上げるかについて、木下順二の“民話について”の一節を引用しそれに対する答えに代えたいと思う。
「……芝居の最初の幕があいた時、観客は既にその芝居がわかっている。その芝居全体を包む世界は観客にとって既に最初に親しいものであり、だから観客は、何とはなしのある安心感をもって、(つまり内容について行くための無駄な努力を要求されることなしに)、その芝居に融けこみ、心ゆくまでそれを味わい楽しむことができるのだ。
ところで、芝居が『そういうもの』であり得るためには、これは今云ったことを裏返しにしていうわけだが芝居以前に、そのように民衆の血となり肉となっている知恵が、『歴史的に』蓄積された知恵が、民衆そのものの中になければならない……」
長い引用になりましたが、「民衆」を「学生」におきかえればそのまま私達演劇部員一同の演劇に対する態度を示すものだ。勿論私達の創作劇がそこにはほど遠いかも知れない。しかし私達の世代に最も身近なテーマをもった作品は、やはり私達の筆からしか生まれない。そして又私達の思想主張を私達の創作した作品として最も率直に表現すること、この歴史の新しい伝統を守り発展させていくこと、その目的に一歩一歩近づいて行くこと、それが私達の任務だと思っている。

(パンフレットより)


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