それぞれの仕事を通して・・・・ |
ままならぬ事………………池田 克彦 |
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社会生活を営みうる人間である限り、演劇が一つの総合芸術であることは絶対に否定できない。だから俳優だけでは演劇を成立させることはできないし、演出と制作だけでも勿論できない。演出、演技者、舞台監督、舞台装置、衣裳、効果、制作、考証というここ独立した歯車が全体として一定の速度を持ち、一定の方向に運動を開始して始めて演劇という芸術が創造される。 それがどんなにつらくても大勢の仲間と共に生活している安心感と、自分達の進む方向が常に歴史の進行を妨げずむしろ前進の小さな推進力になっている事を知るとき、何物にもかえがたい喜びが湧き上がってくるのである。この喜びこそ我々青年のみが有する唯一の特権ではなかろうか。装置を組立てる槌の音、講堂にこだます演技者の叫び、そして予算見積りに朱筆を入れる制作のペン、すべてが創造の苦楽を感じさせる今日、公演十日前である。 |
忙しきかな装置屋……………西坂 博 |
金がない、人手がない、日数がない、それなのに二杯の装置を自作せよとの制作からの命令。制作連はもう少し予算を削ってもよさそうだという様な顔をしている。兎に角一見無理なことを無理なからしめることが芝居をやることの必要条件であるらしい。やれと云われれば、与えられたワクの範囲内でやるより仕方ない。演劇とは総合芸術なり。その一端を担いでいるわけだから、一つでも駄々をこねるととんでもないことになる。舞台芸術と云えば聞えはいいが、裏を返せば何のことァない、大工と左官屋とふすま屋と同じだ。鉛筆より重い物を持ったことがないという連中のことだから、やれ肩が痛いの、腕がだるいの、日がよく照るとかボヤキの集りみたいなものである。そこへ又、ラブシーンで当てられたからこっちの方を手伝わせなんて奴もやって来る。しかし内心では皆、芸術創造の苦しみに一生懸命努力して打ち勝とうとしているのだ。
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他力本願の自己弁護…………大門 昌博 |
「つのぶえ」の専属音響(狂?)屋をもって自認している僕も、こんどは弱った。プロローグとエピローグをカットして了うと、あとに残るのは、第3幕での中国での歌と第2幕の雷雨の音響効果が男の挙げどころだ。何せ中国の音楽など金輪際無縁に願ってた僕のこと、これはハタと困って了つた。ところが案ずるよりは生むはやすしとはよく云ったもの。中華学校の卞先生は中国の御造詣深く、さっそく先生にテープを入れていただき、それを採譜して、遠家君に教える、発音は山本君に頼む、と云う始末でなんとか目鼻がつきそうになった。効果はNJBの盤を拝借。まさに他力本願の何ものでもない。
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真面目な横好き・・・・下村 隆雄 |
とくかく「雷雨」は照明屋にとって実にやり甲斐のある作品である。それだけにむずかしく精力の消耗を要する作品である。いずれの作品についても云えることであるが、特にこの様な作品は失敗すると無惨なものである。良い加減な誤間かしは、どんな小さな部分にても許されない。それだけに今までよりもより真剣に取組んだつもりである。
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感謝上尽………………山本 哲也 |
市大の中国文学科に籍を置いているという唯それだけの理由で、考証とは辛い。中国に住んでいた訳でもないのに。とはいえ、「雷雨」の云い出し兵衛は僕だったので、逃げもも出来ない。やって見て驚いた。俳優諸君というものは、自分の役に関しては、何と小うるさい連中だろう。やれ、指輪は"中国"では何指にはめるのか―(エンゲージリングでも国によって違うんですかい?)。―とか、旗袍(チーパオ)とかいう着物はどの辺まで裾が裂けているか―(流行によって色々変わるんですよ。エエイ、何なら腰まで裂けたのを借りて来て、脚線美をとっくり拝見とゆこうかい)。―とか、"中国"の資本家の鼻ひげはどんなスタイルだ―(資本家でも"中国"となると違うのかな)。―とか、全く僕の知らん事だ。思い余った僕は研究室の香坂順一先生に助けを求めた。やがて紹介されたのが卞 民岩先生だった。頭痛の種だった衣裳もすっかりお世話になった。卞 民岩先生を始めお世話になった中国の方々、又、朊部氏を始め中文研究室の方々には、紙上を借りて厚くお礼を申上げます。 為這回事、全仗着倸 格外的帮忙、実在是感謝上尽的。 |
| (パンフレットより) |