―演劇創造の日々― |
遠 家 宣 昭 |
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演劇部入部六ヶ月にして大胆無法にも、自作自演出という無茶をやらかしてしまった。おまけに大学祭が終わり脚本書き直しの出来上がりが公演二週間前と言う絶対のピンチに立たされてしまい、キャスト諸氏の私生活を干渉する程強行して練習しているが、思うように行かずついには一週間全ての講義を投げて最後の挑戦をした次第である。だからと云って、公演の出来上がりに寛容を願う事は絶対に許されるべきでないと解っていながら心の底ではそれにすがろうとするものがチラチラとは動いている事は否定出来ない。ともあれ如何に切りつめられた期間の中で練習を強いられつらくとも、常にそれを楽しむと云う事がみんなの体内に流れている。これが創作劇を生み出す一つの原動力如何となっていると思う。
僕は演出をやるのは勿論初めてである、だから相当まごついたが、終わり頃には「おかしい《と思う所にはどうやら気付いて僕なりに直す事が出来る程度にはなっていた、やはり経験のなすところであろう。又、練習中に時々つまったりすると、所詮土台の脚本から駄目なんだと云う劣等感が働いて困った。これは作者と両者かねた所に原因があるのかも知れない。 さて劇の内容については色々と問題はあると思うが一口に云うならば、生活基盤を持たない人間は社会生活を営む上に於いて如何に危険であるかを、丸本と野江の「暗黙の合意《と云った愛情の関係から出してみた。 丸本と野江との間にははたして生活能力を無視した愛情なるものがあり得るか?これを肯定する丸本、否定する隆平或いは秋野との対立におき、事実上、丸本の敗北に終わるというものではあるが、此処に云われている生活能力とはいわゆる市民生活を保持しようとする丸本のたたかい程度のものであろう。 凡そ描かれた生活は少なくとも学生生活とは無関係のものである。しかし僕は常々学生は学生生活を描くと云う事に何かしらの反発を持っている。つまり学生という立場を通してもっと人間を追求してみたかったのであるが、問題はそれがどこまで追求されているかである。これは全く保障出来ない。 創作劇を出すと云う事は大変な難事ではあるが、又反面痛快ににして面白いものであるのを、毎日の練習でみんなと味わっている。 |
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| ―パンフレットより― |
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