さまよえる時A      ―生きる喜びに比して― 小 田 切 成 明   先日私は地下鉄に乗った時、こんな光景にぶっつかった。酔ぱっらた父親、彼は入り口の傍で今にも崩れそうになって眠っていた。それと反対側の隅で十才ばかりの少女が、窓枠に顔を押しつけその暗がりの中で泣いていた。声を出さないように努めいるのか、片手を顔一杯に押しあてて、それでもその肩の震えはそれだけでクチャクチャになった泣き顔を感じさせたのだ。そしてもう一方の手は―しっかりと、全身の力をここに集めているかのようにきつく、その酔いつぶれて正体のない父親の手を握っていた。私の降りた電車はこの二人の俳優をいずれかへ運び去ってしまったが、しばらくの間"これが悲劇だ"と私に繰り返しつぶやかせた。このときにも私の心の中には何か耐えきれない孤独感が拡がっていたのだ。何からそれを感じたのかも解らない。しかし、人間が生活する時のあの上安さ、孤独さを痛いまで感じさせたのだ。『人間は孤独な動物だ』と云ったら、途端に沢山の人に叱られた。『人間は孤独も感ずる動物なのだ』と。しかし私はこの社会集団の一員として存在する自分を否定出来ないが、その存在があまりにも孤立した存在なので、人間そのものを孤独な動物だと感じている。この孤立したお互いは、孤独なる上安定さを安定したものに近づけようとして、引き合い、求め合い、要求し合う。やがてこれらの事を当然と考え、義務としてまで感ずるようになり、人はそれを"信頼"と呼ぶのだ。お互いに自分たちの周りにどんな事が起こり、現実が自分を如何に扱おうとしているかに気が付かない。お互いの関係が全く独立したものである為に全体としての現実を見逃しているが、個々の関係は実に細かく影響し合っている。個人をがんじがらめに縛りつけている綱そのものである様に―。この上条理、上安、孤立性と云ったものを、走り続ける電車の中の父親に私は見つけ出したのかも知れない。そして、これらのおよそ宿命とも云える負担を私達の肩から降ろすのは、本当に自分を愛し、自分を信頼する事にあると信ずるのだ。人に対する信頼は、その後に生まれ出るのであり、私達が立っている孤独の場も、自分の置かれている位置を正確に知る誠実な気持によってこそ支配されねばならないのだ。   ―パンフレットより―        戻る