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入部して、4年にもなると、一応理屈をこね、文句を云える程度までなる。そして、やっと自分としての形が出来、曲りなりにも芝居が出来そうに見える頃になると、卒業と云うレッテルをその既製服にはりつけられる。学校の方針では「4回生になれば出来るだけクラブ活動から手を引いて欲しい」んだそうでる、出来るだけ。 しかし、これじゃ企業が成り立たない。投下資本の回収が出来ないから―だから極力大学院に残ってもらわねば困る。・・・・と云う訳でもないが水上 担君は大学院に残り、あらためて再入部。ずっと照明ばかりやって来て卒論も劇場の建築を取り上げたそうだが、今度は新しく装置の方を手伝ってもらった。いつもむつっりとしていて、とっつきが悪い、が人は丸で良い、なんて書いていると「ひどいやちゃな、なんやこれ」と云われるのがおちだろう。 彼に代わって照らし専門と云う仕事についたのが下村隆雄君、和泉の男と云う訳でもないが土性骨はしっかりしている。顔に溢れるようなメガネをかけ真面目くさった様子で酒を飲んでいるのはいかにもちぐはぐで滑稽みがある。顔そのものが漫画的に出来てるのかもしれない、が仕事は安心して任せられる。 今度の舞台監督は西坂 博君、彼も余りにも顔が童顔の様に出来てしまっている為に煙草を吸ってもしっかりとした意見を吐いても感じとしてぴったり来ない。彼の何か云い様のない不安さはこんな所にあるのかも知れない─。 やはり彼と同学年の正円 武 君も二枚目すぎて困る。昨年の「道程」の時、金持ちで、遊んでばかりいると云った学生の感じが、非常にぴったりとしていた。坊ちゃん育ちの彼のなかに自然に含まれている味なのだろう捨てがたい味ではある。 学生時代にさしたる思い出もなく、無為に過ごすのはしのびんと3回生になって飛び込んで来た渡辺敏之君は仲々どうして片暇には声楽を学んでいる勉強家。しぶい声はそのまま老け役にあてはまるが、彼そのものも老け役と云うのかも知れない。 女優の長崎雍子君も3回生になって演劇部に入ってきたが、4回生になると途端に体の自由が利かなくなった。研究室と云うギブスは見てくれはいいがどうも不便なものらしい。何処となく陰のある感じが妙に大人ぽくも子供ぽくも見せて呉れる。その陰が女らしさと結びついてその印象を強めているようだ。 今度岡部恭子君は一人だけ、1回生で舞台を踏む事になった。「何度も何度も云い返します。オトナシク、スナオニ」と彼女が云う様に経験のない為に先輩どもの云うことの一つ一つをオトナシク、聞かなければならないのだろう。しかし、その小柄と愛嬌とほくろが精一杯彼女の能力にプラスしている。今後、舞台美術の方に進みたい云う彼女にとって、今度の舞台が大きな踏台になる様に―。 新入部生の多くが公演前の酷使(彼等にはこの言葉以外の何ものでもない)に根を上げる様だ、そして何人かの落後者が出る。しかしこの期間をなんとかやり過ごし公演の喜びを味わったものは、容易にこの枠から抜けられない。小松光三君には気の毒だった。元締めの吉本君が演出にかかり切りになった為に、なんやかや切りもりをしなければならなくなった。ちょこまかと動く奴でないと出来ない仕事ばかりをよくやったものだ。その眼鏡の大きさが顔そのものを小さくしてしまった感じだが、その奥のドングリ目で見つめられると“俺は嘘はついてない筈だが”と考える奴がいるかも知れない。酒井芳樹君は人に目立たない性質だ。特に印象に残る持道具をその顔に持っていない故為だろう。西尾雅一君、 遠家宣昭君とも部室に出てくる度にあっちの広告、消防署の許可と走り廻された連中だ。酒井君に比べて身体が大きくて頑丈そうなので何となく身体的な用件を頼みやすいのかも知れない。と云ったら憤慨するだろうが「今日も前に女の子を眺め、横に店のマスターの恐ろしそうな顔をのぞきながら前進する。願わくば幸あらんことを!!」と云いながら遠家君は象の様な馬力で張り切っている。西尾君も「演出助手と云う仕事を与えられているのに、副職の広告取りでテンテコマイ、しかし、このような忙しさの中に本当の面白さがある」と云いながら「あの娘、この子にウインクしながら歩くのもいいもの」等と酒井君が云ってる様に、一つの仕事の中に真から溶け込んでいった時、その苦しい闘いの中に喜びが隠されている事を誰もが知るに違いない。 多尾嘉子君も今度入った新鋭だが静かな目立たぬ人だ、舞台に使う椅子の埃を「男の人に拭かせては悪い」等と云う彼女は反近代女性の旗印なんだろうか、男の連中には貴重な存在。 牧師とはおよそ不似合な桜井宗和君、生まれて始めて聖書を読んだが「あれはええこと書いてある」そうだ。旧約聖書に「エルサレムの女子等よ、われは黒けれどなお美はし、ケダルの天幕のごとく、また、ソロモンの惟帳に似たり、われ色くろきが故に、日の我を焼きたるが故に、我を覗るなかれ・・・」(雅歌第一章)とあるのは、彼のことを云ってるのかも知れない。成る程そう云えば、その顔や頚がギリシャ人のそれを思い出させるじゃないか・・・・?。 彼と硬軟好一対なのが、今度効果を受け持つ田川元康君ヒゲ面を下げてヌーッと風の様に出現する。彼は近頃ニックネームの懸賞募集をやって素うどん一杯を代償に“エロス”なる名を得た。成程そんな顔、雰囲気を持っている。その“エロス”が気に入って素うどんをきつねうどんに変えたとはたのもしい限り。この痩ッポちに比べて大門昌博君はフルートを持って丸で端午の節句の男の子みたい。彼は経済をおんでて文学部哲学科へ学士入学「哲学をこそ学ぶべきだ」と熱弁する彼は一寸した助教授くらいに見える。魚で云えばマグロの様な体をしている。 鮪と云えば今度新入生歓迎会に去年放送した“鮪の村の物語”を脚色上演するが、その中でマツグの役をもらった植田黎子君は東京系の人でアクセントは部員の中でただ一人の東国式を身につけている。線の細い感じはそのまま小気味よい言葉となっている。 ここにも一人学士入学氏がいる、他ならぬ吉本洋一君である。国文科から今は経済の4回生、来年は卒業するそうだ。「小説に詩は一通りわかったし芝居もそろそろわかりかけて来た」と語る彼は演劇部の中核で全員の信望をそのきれいな目に集めている。小田切成明君は今度仏文を専攻した。だれかが仏文向きの顔してると云ったが成程そうも見えるし、雨蛙にもにている。口が大きいのは現代人的感覚だそうだが、おまけに手も足も大きすぎる。因みに足は十二文。去年は創作劇を一本ものにし又今年の大学祭にも吉本、櫻井両君等と並んで創作劇を出す意気込み。本当に三本創り上げたいものだ。市大の創作劇運動もまだまだこれからだ。英文科4回生の浜田治子君は今度衣裳に廻った。アダナのハルコちゃんとは象の名前ではない、彼女のものだから念のため、象よりも子猫と云った感じの人。4回生には社会福祉をやってる高月波子君がいる。一面古くさい封建的な女性と見える彼女も一旦口を開けば滔々と筋道を立てて話す。よく物を考えるが、じっと内に秘めている様子。これが彼女の長所であり短所なんだろう。 藤原リミコ君は今度75才の婆さん、しかも舞台で二人もなぐりとばすと云うのだからものすごい。役柄の様にシンがあってしっかりしている。 仲間を見てるとたのもしい。何故なら僕達の時代にはきっと戦争はない。みんなそんな顔をしてる。テッポーなんて持たないぞ。恋人は胸から離さないぞ ―けど金のありそうな顔をした奴は一人もいない。 | ||
| 共同執筆 | 小田切成明 |
|---|---|
| 桜井宗和 | |
| 小野愛生 | |
| 吉本洋一 |