女 優 頌

田結荘 哲治

ボク、もとよりフェミニストである。このボクが「女なんかクソくらえ《(満場の淑女、諸姉よ、寛怒あれ)と思ったことが三度ある。一度は言うも愚か失恋の苦杯をなめたとき、あとの二回は芝居の脚本を決めるとき。
幸福なる現代演劇部諸氏は想像も及ばぬことであろうが、僅か七年前(s23年)、諸兄の先輩はいかにこのことにおいて悩んだか。大阪商大広しといえどもスカートを着用せる学生は僅か二吊。いずれも部員に非ずとすれば、わが演劇部のとるべき道は二つあるのみ。全く女性の登場せざる脚本を上演するか、在阪女専学生の賛助出演を乞うか。ドラマなるものはアムールなくして成立するものに非ずとすれば、後者の道をとるほかなく、純粋芸術活動以前の涙ぐましき交渉が開始せられる。当時大阪府下にイラカを並べる女専は十一校の多きに及ぶといえども、あるいは他の演劇部とヒモつき公約の既存するあり、わが高踏なる水準に達せざるありで、まことにオビに短くタスキに長しの有様。
大島ガスリに仙台平汚れ手拭いを腰にぶら下げた同士たちが、今日はS女専の門前で老嬢教頭にケンツクを食わされ、明日はF女専生徒控室で冷や汗たらたらの勧誘を続けること旬余日。やっと賛助出演が決定してもそれからが大変でヤレ「夕方五時に帰してくれなければ夜道がコワイワ」だの「学校をサボッテ来たのでニラまれるノ」だの、とかくご婦人は故障多きもの、五人も来れば各々の差障りの周期まで頭へ入れておかなければポッカリと穴があく。一人では恥ずかしいからと駄々をこね、ちょっときつい稽古をすればピアノの裏にかくれてメソメソ、シクシク。野郎どもは珍しがってソワソワするしまったくのテンヤワンヤ。
それにくらべると後輩諸氏はなんたる果報者か。脚本選定に頭を痛める必要もなければ、徹夜の稽古も上可能ではない。どなり散らしても泣きベソをかく人もいないし、羨ましいようなご時勢ではある。
後輩諸氏よ、スカートを着用せる人種とはかくも偉大にして貴重なるものである。ゆめ粗略なる振舞いあるべからず。
―「雅歌《パンフレットより―


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