商大時代の演劇部

倉 井 弘 延
市大とその名も変わり新たな一歩を踏み出した本学演劇部も今年で迎えて五周年になるという。私達の芝居がつい先頃の事に思われる今日、その健やかな発展に洵に御同慶にたえない。そこでこの機会に商大の頃の演劇部について何かとのご注文、詳細は年表に譲るとして、思い出を語るには余りに若い私なのだが。
我々の演劇部の歴史もそんなに古いものではない。その記念すべき第一回上演は秋田雨雀の手投弾を泉氏が脚色した「フィナーレ」3幕。敗戦の翌々年我々が予科二年の時だった。ナンバ粉をかじりほおばの下駄に意気丈は旺んな有志が、とにかく商大で芝居をやろうと泉氏を演出に集まったものである。愛情と青春の間をさまよう青年が、遂には堪え難い壁にうちひしがれて恋人を刺し破局となる。サディズムが登場し「もう遅い」と嘆く父、シューマンのトロイメライが流れ青い月影は詩人がうたう。居合わせた女学生が「でもロマンチックね」とさゝやいて幕。といった芝居であった。第三回は泉氏自作の「沈澱」。醜いあざを残した青年と隣人兄弟を中心に、戦後の苦悩を異常な人間の姿に託したこれも異色ある作。その沈澱振りが見事であると妙な賛辞を頂いた芝居である。このように此の頃のレパトリは明らかに泉氏の演出上の色彩が強かった。神を模索し人間存在をかけての神との対話、当時の氏の姿であったともいえようかその意味で「人間この未知なるもの」の言葉に盡きる「その人を知らず」に至る道も又興味深いものがある。泉氏の課題は同時に又、私達の疑問であっとともいえよう。
松田氏の演出「その人を知らず」は我々にとって最も充実した舞台であったと思う。登場人物三十人、伊沢、田結荘、神戸、といったそれぞれ個性味豊かな人物が舞台をうごめきのたうつさまは壮観だった。以来公演を重ねる事三度、レパの分野も広がり、伊沢、田結荘、といった人々が自ら演出を手がけたが(阪本君はその頃のフレッシュボーイ)学制改革と共にその短い歴史は閉じバトンは市大へと移るのである。("怒りの夜"パンフレットより)




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